保健師の先輩たちの感染症との闘い、
水道もない村で、赤痢や結核、寄生虫をなくすためにどんなことをしてきたのか・・・
このCOVID-19対応で、やっぱり基本の基だなあとまた読んでみた。
大先輩 大峡美代志さんの熱い思いと実践力を記録した本
「須坂の母ちゃんがんばる」に次のような記載がある。
最初、保健協力員という名前で村の女性が集められ、結核予防の学習会
(p103より抜粋)
白いエプロン着用
爪を切ってくること。
時間厳守
会場へ着いたらすぐ手を洗ってください。
手を洗うのも、石けんをつけて2回洗う。
2回目には石けんが良く泡立つことを、自分の目と手でしっかりと確かめてもらった。
行き帰りには、うがいをしてください。
いずれも、保健補導員の衛生のイロハである。
次に取り組んだのは「手のひら皿」の廃止
小皿のことを「おてしょ」と呼ぶのはここからきているんでしょうね。
赤水(酸性水)で手を洗う習慣がない上に、この手のひら皿では病気もうつり放題。
まずは公会堂に世帯数の小皿とさかづきをそろえて、口につけるものを別々にする習慣をそこからやった。
そして、手で直接食べ物に触らないように楊枝を準備する。
つまようじは買ってくるのではなく、カラタチのとげを使ったと。
須坂市に合併した後の高甫地区(旧高甫村)で赤痢が発生。
まだ、川の水で洗濯したり、鍋、かまを洗っていたころ
下流に伝染する可能性があるから、川の水を使わせたくない。
でも外部からの評判を落とすことを気にして、
市当局が広報で知らせることに消極的。
補導員さんが駆け回る。
川の洗い場は熟知しているから、
手分けして「危険」の赤旗をたてて回る。
それでも、下流まで徹底できない。危ない。
このままでは感染拡大。
今の世の中では信じられない、やってはいけない裏技だけど、
石油を流したという記述がある。
ギラギラ油が浮けば、その水を使おうとしないだろうからと
もちろん下流の地区から怒られ、お詫びと説明に走り回ったとある。
でも、「赤痢は蔓延せずに済んだ」と。
大峡さんが退職したのと入れ替わりに私は須坂市役所に就職した。
その私が退職年齢。
はるか昔の話
だけど、今一人ひとりに必要なことは変わらない。
手洗い、うがい、人との共用、食べ物を口に入れる時に気を付ける。
「衛生教育」
生命を衛ると教えられた。
「あんたち、踏ん張りどこじゃねか」と、大峡さんが言っているような気がする。